曳山の特徴

曳山は西町、中町、東の3基があり、ほぼ同じ造りの2層構造です。上層は白木や漆塗りなど各町特色のある御殿造りで、前部が舞台となっています。 下層は3基とも白木造りで楽屋として造られましたが、現在は楽屋として使用することはなくなっています。 以前は、現在のように道幅が広くなかったため、家の軒などにぶつからないよう折り畳み式の可動屋根になっています。

また、3基とも舞台正面の2本の柱を取り外すことができ、これは他地域の曳山にはない特徴となっています。この工夫によって、柱に邪魔をされずにのびのびと歌舞伎を演じることができます。


西町の曳山

1789年(天明9年)に造られたとされ、3基の中で最も古いものです。

建造当初の芝居舞台は仮舞台程度のもので、そこで人形浄瑠璃が上演されており、慶応年間(1865-68)に現在の姿に改造されています。

見返り(背面)に施された大彫刻(関羽読書図)と、高欄以外は白木のままの御殿が特徴です。

車輪は4輪の内車様式で、二重の屋根は平成11年に実施された解体修理で、固定式に改められました。

3基の中で最も大きな曳山で、高さは約6mあります。


中町の曳山

西町に続いて造られたとされ、1868年(慶応4年)に大修理をしたという墨書が2004年(平成16年) に行われた解体修理で発見されました。

この墨書によれば、大工4人がかりで16日間の修理が実施されたことや、6人の塗師によって漆塗りの作業が行われたことなどがわかりました。

高欄、御殿とも黒漆塗りで、彫金の金具が打たれているのが特徴です。

車輪は3輪の内車様式で、屋根は唯一一重の屋根です。


東の曳山

中町に続いて造られたとされ、以前の曳山は1900年(明治33年)の出町の大火で焼失しました。

現在の曳山は関係5ケ町(東町・木舟町・川原町・新町・新地)共同で資金を作って、1935年(昭和11年)に完成した曳山です。そのため、東町曳山といわずに東曳山といいます。

朱塗りの高欄や装飾的な柱などが特徴です。

車輪は3輪の内車様式で、屋根は二重の屋根です。